食を探求する人間の執念に舌を巻く
ふるさと納税の返戻品で栗を3kg貰った。
以前の記事でもふるさと納税について言及した。
私は返戻品目当てではなく、純粋に地元の振興になればと思い
それにしても生の栗3kgは中々の迫力がある。
一粒一粒が大きい。栗なんて「甘栗むいちゃいました」しか身近に知らないから何とも言えないが、
「甘栗むいちゃいました」に入っている栗と比較すると倍ほど違うように思う。
計ってみると大体、一粒30gだった。一番大きいもので1粒45gのものもあった。
これだけ立派な栗をいただいたのだから、まずは栗ご飯でも作ろうかと思い。栗を目の前にして、はたと手が止まった。
栗の下ごしらえが全く分からない。
試しに包丁を入れてみるが固くて刃が入らない。
調べてみるとその工程の多さと時間のかけ方と皮を剥く難易度に眩暈がした。
①栗を皮付きのまま半日から1日たっぷりの水に浸けておく。
②ぬるいのお湯に1時間ほどつける
③皮が柔らかくなってきたら包丁で座(注1)を切り落とし、そこを起点に鬼皮(おにかわ)(注2)を剥く
注1:栗のお尻の部分
注2:一番外側の固い皮。ギャルが可愛いものに対して言う言葉ではない
④渋皮を削ぐように包丁で取る
⑤あく抜きのために水に30分から1時間浸ける
⑥ここから料理に応じた栗の調理に入る
いやいや、私は今食べたいのだが?
工程のほとんどが水に浸けて待つだけの時間となっている。
今食べたいなと思って作り始めたら口に入るのは最短でも半日以上先だ。
しかもこの工程で一番面倒なのは④の渋皮を取る作業だ。
包丁で桂剥きのように栗を動かしながら皮を削いでいくのだが、とにかく時間がかかった。
大根などと違って小さくて固いものを包丁で皮を削ぐ。
これだけでも怪我の恐怖におびえながらの神経を使う作業だが
栗の実は皺が入っていてその皺の溝まで渋皮が癒着している状態なのだ。
そのため包丁捌きも複雑な動きを要求される。
素人には難易度の高い調理だ。
渋皮を一つ一つ剥きながら人類の食への執念に思いを馳せていた。
桃栗3年柿8年という言葉があるように栗は植えてから収穫するまで3年かかる。
そしていざ収穫となっても栗を狙う野生動物は数多く存在している。
タヌキ、サル、キツネ、カラス、クマ、イノシシ。
これらの動物との収穫競争に勝たなければ栗を得ることは出来ない。
タヌキやキツネぐらいならまだいいが、クマやイノシシに出くわせば命の補償はない。
まさに命がけで栗を採取しなければならない。
そして採取したからといって終わりではない。
栗は3つの鎧をまとっている。
イガ、鬼皮、渋皮だ。
どれだけ生き残ろうと必死なのだろう。野生の生存本能に圧倒される。
痛いイガを外し、固い鬼皮を剥ぎ取り、取りにくい渋皮を根気よく削ぐ。
これだけやってようやくスタートラインだ。
「初めてキノコを食べた人間を尊敬する」と言う人がいるが
初めて栗を食べた人間も相当なものだ。
これだけの手間と時間をかけて食べられなかったら?美味しくなかったら?そんな雑念がよぎらなかったのだろうか?
大体、栗だけで食が完結できるほど量はない。
栗は食の主になるものではないと分かっていて、この執着ぶりだ。
まさに人類の食への執念だ。
しかしこれら先人達の功績があって今の私たちは当たり前に栗を食べられている。
先人達の執念には及ばないが私の執念も相当なものだ。
怪我が怖いならよせばいいのにチマチマと栗の渋皮を取り切ろうとしている。
前日の夜に工程①から始めて、ようやく工程④まで来た。
あとは渋皮を取り、あく抜きをして、米と一緒に炊くだけだ。
2時間後には炊きあがった栗ご飯を堪能できるだろう。
渋皮を取りきり、水に浸けあくを抜き、米を炊く工程になって気付いた。
米のストックがない。
空の米びつに米唐番だけが鎮座していた。
私の中で何かがプツンと切れた。
今日の晩御飯はマクドナルドだ。
脳に突き刺さるバーガーとポテトの味もまた人間の食への飽くなき探求心の結晶だ。
I LOVE USA!
I LOVE JUNK FOOD!
I HATE CHESTNUT RICE!