直感的な操作で行う筍のあく抜き

今の時期が旬という事で生の筍を貰ったのだが、家に持って帰ってはたと下ごしらえの手が止まる。

どこから手を付けていいか分からない。

とりあえず頂いた筍が入っていた箱の中にある説明書を見る。

その説明書がまた分からないのなんの。

10cm×10cmぐらいのメモ用紙にあく抜きの工程が書いてあるのだが、その説明が薄い。


①筍を水洗いして表面の土を洗い流す。

ここまではいい。

しかし初めて生の筍を触ったが、意外と毛の感触が強い。

皮の部分は竹のように固くツルツルした感触かと思ったが細かくて固い毛がびっしりと生えている。

手で撫でるとその一本一本の毛の固さをしっかりと感じられるぐらい。


②稈鞘が取れそうなら軽く取り根本を薄く削ぐ

待て待て待て。

常用じゃない漢字を出すんじゃない。ググろうとしても読み方も分からないから打ち込みようがない。

「のぎへんに早いみたいなやつ」とググるとようやく「稈」が出てくる。

筍のあく抜きの工程の中で今のところ一番これに労力を使っている。


調べを進めると「稈鞘」は筍の皮のことらしい。じゃあ筍の皮が取れそうなら軽く取りと書けばいいだろうに。

そもそも用意した説明書が小さい故に「筍の皮」だと3文字の所を「稈鞘」とすることにより1文字節約している。


それに加え、料理を普段しない人や筍のことを全く分かっていない人に「取れそうなら軽く取り」こういう曖昧な説明は勘弁してほしい。

眼前にある筍の皮が取れそうかどうかと聞かれたら、

「一度取ってしまうと取り返しが効かないので、ここは取らずに保留するべきでは?」と答えるインテリな自分もいれば、

「パワーを込めていいのなら全部とれますが?」と答えるマッチョな自分もいる。


今時の筍はiPhoneのように直感的な操作を可能にしているようだ。


③筍の先を斜めに切り落とし、筍に切り込みを入れる。先は深く、根元は浅く。

また出たよ。iPhoneの直感的な操作。

しかも今度は説明文も何だかおしゃれ。倒置法まで用いられている。

「先は深く、根元は浅く」とか「花は桜、君は美し」みたいなこと言いやがって。

Appleの前衛的感覚といきものがかりのアート性を併せ持つ筍がここにある。


④筍が浸るぐらいの水を鍋に入れ、米糠・鷹の爪を入れて40分ほど煮る

この工程にたどり着くまでにもう既にぐったりだ。

ここも「筍がいい感じになるぐらい水を入れ、グッドなタイミングまで煮る」みたいな直感的操作を求められたらどうしようかとヒヤヒヤしていた。


一応、説明書と並行して母に筍のあく抜きの方法を電話で聞いたのだがそれも当てにならなかった。


僕「筍の先を斜めに切るってどっち向きに切ったらいいん?」

母「こっち向きに切るんやろうなって方向に切ったらええねん」

僕「は?」

母「こう切ったら収まりがええなあって方向あるやろ?そっち」


僕「切り込みいれるってどれぐらい?」

母「先を切り落としたら中が年輪みたいになってるの見えるやろ?その真ん中ぐらいまで切り込みを入れんねん」

僕「ほうほう、根元の方は?」

母「すぅっとでええよ」

僕「は?」

母「切り過ぎでも、切らなすぎでもない煮た後に剥きやすいやろうなって感じで」


まさか母までiPhoneの直感的な操作に侵されていたとは。Appleの影響力はとどまるところを知らないようだ。


今までの情報を総合して筍を直感的にあく抜きしてみた。

その結果がこれなんだが、どう思う?

どうやら直感的にあく抜きできてしまう故に直感的な説明になってしまうようだ。

直感的に調理が成功すると自らの料理センスを確認できたみたいでとても満足感と達成感がある。

筍のあく抜きは大体でいいんだ。


一方、妻はyoutubeで筍のあく抜きの動画を見た。驚異的な速さであく抜きを終わらせていた。