「はしたない」の後に続く言葉「おま○こ」以外にない説
初めにこれだけは断っておきたいが、下ネタで安易な笑いを取ろうという意図ではない。
これ以外に言いようがなかったため、このようなタイトルになってしまった事をまずはお詫びしたい。
「はしたない」
たしなみがなく、不作法だ。つつしみがなく、見苦しい。
この説明だけ見れば、後に続く言葉はいくらでもあるように思う。
実際に「はしたない性格」や「はしたない人間」等、意味が通る言葉は作ることが出来る。
しかし小説や文章で使われたり、実生活で使用される場面は無い。
文法上正しい表現が文学的で常用であるとは限らないのだ。
つまり「はしたない」を慣用句として使う場合に後に続く言葉は「おま○こ」しかないと言いたいのだ。
例えば「忸怩たる」という言葉がある。
「忸怩たる(じくじたる)」
自ら恥じ入る気持ちにかられること。また、その気持ち。
これも「はしたない」と同様に後に続く言葉は一つしか出てこない。「忸怩たる思い」のひとつだけだ。
「忸怩たる作品」や「忸怩たる計画」でも意味は通るだろう。
しかし慣用句として「忸怩たる」に続く言葉は「思い」の一択だろう。
このように、一見広い意味を持つ言葉がなぜ限定的な慣用句でしか使われないのか。
それはその言葉を使用する場面も限定化されているからだ。
「忸怩たる思い」という言葉は政治家の謝罪コメントでしか使われているのを見たことがない。
「この度は、私の引き起こしたことにより、皆様の信頼を裏切る結果となってしまい、忸怩たる思いです」
この一連の文章が限定的な場面でしか使用されない故に「忸怩たる」という言葉は後に「思い」しか続かなくなってしまった。
では「はしたない」はどういった場面で使用されているのだろうか。
私はこの30年間、ある程度日本語に触れてきたが「はしたない」という言葉はエッチな本の中でしか見受けることがなかった。
それも「忸怩たる思い」と同様に極めて限定的な場面で使用されていた。
例えばこんな場面だ。
「宗教色の強い学校に通う女学生が用務員のおじさんと淫らな行為を行う場面」
「名家のお嬢様が庭師のおじさんと淫らな行為を行う場面」
付け加えると、一度目の行為ではなく二度目以降に「高貴なワタクシがあんな下賤な男と…」という展開とセットで使用される場合が多い。
こういった限定的な場面でしか使用されない弊害により
「はしたない」の後には「おま○こ」しか続かないようになってしまったのだ。
下品で申し訳ない。