私には守護霊がいる
先日、学生時代の友人達と飲み会があった。
気の置けない友人達とお酒を酌み交わすと、
ついついお酒がすすんでしまって飲み会が終わるころには、すっかりみんな出来上がっていた。
しかし終電にはまだだが、もう一軒行くには時間がないという微妙な時間に店を出てしまった。
まあ今日はこれで解散でいいかと帰りかけたときに、ふと道端に占い屋さんを見つけた。
歩道に机と椅子を並べただけの簡易的な店構えで、ただ「占い」とだけ書かれた看板を出していた。
机の向こうには普通のおじさんが座っている。
こういう時、普通は一種の演出としてローブを着たり、水晶玉を見せるものだと思っていたが、そんな小細工は一切なし。
そこには「占い」の看板とただのおじさんが鎮座していた。
ところで私は占いというものに良い思い出がない。
大学生の時、学園祭で占いサークルが催しているタロット占いをやってもらったことがあった。
その時は確か恋愛運を占ってもらったと思う。
結果は最悪だった。
占ってくれたサークルの女の子も引いていた。
「ちょっとこれは今まで見たことないぐらい悪いです」と半笑いで言われた。
「どれぐらい悪いかというと、友人とふざけて「こんな結果が出たら最悪だよねー」って言ってシャッフルせずに手で並べたのと同じぐらい最悪です」と最悪具合まで解説された。
そういえば、その後、好きな女の子の部屋に呼ばれて行った時にその子の彼氏が来て、真冬にベランダで3時間、彼氏が帰るまでやり過ごしたことがあった。
あれはタロットカードの呪いだと今でも思っている。
そういう理由もあって占いというものを敬遠していたが、このおじさんは違う。
ローブ・水晶玉・杖・カード。
そんな一切の小細工を捨て、こう言う「見たものをそのまま伝えるからね、それを知っ
て気を悪くする人はやめておきな」
ちょっと待ってくれおじさん!そんな、そんなこと言われたら、やらないわけにはいかないだろ!
演出頼りのちゃらちゃらした占いに用はない。私はこのおじさんの紡ぐ言葉を聞いてみたい。
あの時のリベンジを果たす機会を私はずっと待っていたのかもしれない。そんな思いでおじさんに占いを依頼した。
おじさんが占ってくれるのは私の守護霊の存在ということだ。
余計な演出がないので、私の守護霊を見て、それを伝えて終わり。全部で10分だという、値段は2,000円。高いのか安いのか分からない価格設定だ。
余談だが皆さんは守護霊というものを信じているだろうか?
私は信じている。
しかしなにも私の先祖などの守護霊が常に私の背後にいて、私に降りかかる災難を霊的な力で排除しているとは思っていない。
小さい頃から先祖の話を祖母や両親に話してもらい、
「お爺ちゃんはこういう立派な人だった」
「お婆ちゃんはこういう行いをして一目置かれていた」
そんな話から、素晴らしい人になるための進むべき道を示してもらい。
かたや
「こういうことをしてお爺ちゃんに怒られた」
「こういう行いをしてお婆ちゃんが悲しんでいた」
そんな話から、悪い行いを自ら戒める心を示してもらった。
お爺ちゃん・お婆ちゃんが物理的・霊的に自分を助けてくれているんじゃなく、家族が話す私の先祖の教えが私を人として正しい方向へ導き、ひいては自分を守ってくれている。
そういう意味で守護霊は存在すると思っているし、先祖に見られても恥ずかしくないように正しい行いをする心こそが私の守護霊だと思っている。
そんな私を見て占い師のおじさんは私の守護霊を占ってくれた。
私の守護霊は「鳥」だそうです。
鳥とだけ言われても分からなかったので「何の鳥ですか?」と聞いたところ
「ちょっとなんていう種類の鳥か分かりませんね、小さな鳥です」と言われた。
占いとしての腕はあっても鳥の知識まではないようだ。
占い料2,000円を払った後、私はもう二度と占いをすることはないと心に決め、家路についた。