デカい肉を食うという夢がある人は若いうちに叶えておけ

デカい肉を食う。


人間であれば誰だって、その原始的な欲求に逆らうことは出来ない。

 

はじめ人間ギャートルズで輪切りにされたマンモスの肉にかぶりつくように。

モンキー・D・ルフィ―が骨のついた肉を口いっぱいに頬張るように。

ジャックハンマーがステーキを一口で食べ、サクサクとTボーンステーキの骨まで食べるように。

とりわけ男の子なら一度は夢見るんじゃないだろうか。

 

「ああ…俺もでかい肉にかぶりつきたい」

 

そんな思いが頭の片隅に常にあった。

そしてその欲望を叶える日がついに来た。

 

先日ハワイに行ってきた。

ハワイでウルフギャングのTボーンステーキを食べる。

これはハワイの旅の最大の目的と言ってもいい。

もちろん一番の目的は友人の結婚式を祝う事なのだが、デカい肉を食べる事と天秤にかけてみてどうだ?

言わずもがな、そういうことだ。

 

入国審査で
「What's your purpose of your visit?」

と聞かれた時も

「 eat huge meat」

と答えたぐらいだ。

入国審査の屈強な黒人がこちらを見てニヤリと笑った。

「見た目はひょろいジャパニーズだが、なかなかビッグなソウルを持っているようだな」

そんな眼差しだった。

 

そもそもハワイに行かなくてもウルフギャングは日本にもあるじゃないか。

そういった意見もあると思う。

しかし考えてほしい。

アメリカでデカい肉を食う。

そのこと自体に意味があると私は思う。

京都の奥丹清水で湯豆腐を食べる。

それと同じだ。

これが理解できない人は旅行先でもイオンモールマクドナルドでも食べていろ。

何と言われても私はアメリカでデカい肉を食う。

 

分かっていたことだがウルフギャングはかなりの人気店で予約をしなければ入店できないほどだ。

事前に予約をしたのだが、それでも何とか取れたのが22時の席だった。予約を取った時の高揚感は今でも忘れられない。

中学生の時に大阪城ホールモーニング娘。のコンサートチケットを取った時以来の熱量だった。

デカい肉は全盛期のモー娘。に匹敵する。

 

予約の時間の五分前にハワイには似つかわしくない正装でウルフギャングの門を叩く。

一緒に行く友人をちらりと見る。

彼の目も血走っている。

なにせ今日は朝にアサイーボウルを食べて以来何も食べていない。

まるでダイエット中の丸の内のOLのようだ。

しかしこれから私たちは二頭の獣となる。

 

メニューのプライムステーキ(Tボーンステーキ)を指差し、

「This」

それ以上の言葉は要らなかった。

私達のあまりの迫力に店員は少したじろぎながら

「野菜は要らないか?」

と聞いてくる。

今度は友人が答える

「meat only」

彼も本気という訳だ。

 

注文してからステーキが運ばれてくるまで20分程だったが、その時の私たちには永遠に感じられた。

ステーキ用のナイフとフォークがテーブルに運ばれた。

いよいよだ。

私たちの目の前に巨大な肉の塊が置かれた。

店員が何かを喋っている。

「こっち側がサーロイン、こっち側がフィレね」

ごちゃごちゃとうるさい、肉の部位云々とグルメぶりたい奴は日本でお上品にチマチマと神戸ビーフでも食べてろ。

デカい肉を前にして御託は要らない。

 

脳が、本能が命令する。

 

「この肉を食い尽くせ」

 

田宮良子の言ったことが分かった気がした。

 

Tボーンの骨部分から既に肉は切り分けられているが、そのひと塊ひと塊がデカい。

握りこぶしぐらいある。

それをナイフで雑に切りかぶりつく。

見るだけで圧倒される巨大な肉

オーケストラを彷彿とさせる肉の焼ける音

鼻腔を刺激する肉の焼ける香ばしい匂い

切り分けた時のナイフの確かな感触

噛むたびに程よく歯を押し返し千切れていく肉の筋繊維

溢れ出る肉のソースと野性が目覚める肉の味。


視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、肉が五感すべてを駆け巡る。

デカい肉を食う。

それは根源的でシンプルな幸福だ。

 

ある種トランス状態で食べ始めること5分。

私の手が止まった。

 

「これ以上食べたくない」

 

その悲鳴は胃が満杯になって上げているものではなかった。

その悲鳴の出所は胸。

胸の辺りにドロドロとしたものが滞っている感覚がある。

 

胸やけだ。

 

老いはこんなところにもくる。

まだまだ肉はその巨大さを称えている。

 

急激に来た不快感にグロッキーになり、助けを乞うように目の前にいる友人を見る。

頼みの綱の友人は青ざめた表情でテーブルの端を見つめていた。

あれだけの肉を食べたはずなのに、少し頬がやつれて見えるのは気のせいだろうか。

 

私たちの食事の手が止まっているのを見るや否や、陽気なホールスタッフのケヴィンがこちらにちょっかいをかけてくる。

ニヤニヤしながら

「onemore onemore」と肉を勧めてくる。

「I can't eat anymore」と許しを乞う私たちを無視し、無慈悲に皿に貯まった大量のドリップをかけて特大の肉をサーブするケヴィン。

「eat and be big」と友人の肩を叩くケヴィン。

ケヴィンにとってはポンポンと軽く叩いたつもりなのだろう。

しかし枯れ枝のような友人の体にとってはかなりの衝撃だった。

一撃ごとにピンボールのように左右に体が吹き飛んでいた。

 

そうだ、なぜこんな単純なことを忘れていたんだろう。

私も友人も「大食い・ワイルド・筋肉」そんなワードとは程遠い帰宅部だった。

これだけの量の肉を食べられるわけがない。

加えて私たちはもうオーバー30。

体が油を受け付けないのだ。

 

結局私たちは1時間以上をかけて、何とかその忌々しい肉の塊を胃の中に押し込んだ。

もう何も考えられない。

いや、一つだけ思い浮かんだ。

多分友人も同じことを思っていただろう。

 

「デカい肉を食うという夢がある人は若いうちに叶えておけ」