流行りものが嫌いだった自分を妻が変えてくれた

 

妻と暮らしてそろそろ1年が経つが、一緒に暮らす中で分かったことが一つ。
妻は流行しているものを取り入れるハードルが低いということだ。

 

私はここ数年流行しているものなんて取り入れていない。

いつもと同じ場所に行き、同じようなものを食べ、同じような娯楽で楽しむ。

やっていることはもうずっと変わっていない。新しいものを自分の生活に取り入れていない。

 

一方、妻は対照的だ。

常にテレビやSNSから流行のものを取り入れ、食事も美容も旅行も新しいものを取り入れている。

娯楽だってそうだ。流行っている芸人さんや動画をマネして楽しんでいる。

 

何故私はこうも動きが鈍いのだろう。

その答えとして、一つは自分の手に馴染んだ娯楽が安心するという事だろう。

慣れ親しんだ娯楽がそれなりの楽しみを与えてくれることを知っているために自分にフィットしていない不自由さを感じてまで新しいものを取りいれる必要性を感じていないのだろう。

 

しかし実際は流行っているものに複雑なルールなんか無いし、むしろ入口が複雑に作られているものは流行りにくい。

そしてただそれに手を伸ばせば楽しむことが出来るようになっている。

妻はそれを本能的に知っているから、私が二の足を踏んでいる間に易々と流行のものを取り入れられるのだ。

 

そして私がこういう流行りものを取り入れないもう一つの理由として
流行っているものを取り入れたら今までの自分の人生を否定してしまうんじゃないかという思いがあるという事だ。

 

思えば私はスクールカーストであまり上位の方にいなかったように思う。

スクールカーストの上位の人達が妻のように流行りものに乗っかり盛り上がっている様子をよく見かけた。

それを羨ましいと思う一方で、自分はその人達のように盛り上がったり出来なかったことから、

「自分は出来ないんじゃないくて、あんな馬鹿らしいことはやらないだけだ」と考えるようになってしまった。

イソップ童話の「すっぱい葡萄」にみられるような心理的な防衛本能が働いていたのだ。

 

そういう思いが根底にあるから、今でも流行っているものを自分に取り入れることが苦手だ。

今になって易々とそれを取り入れてしまったら過去の自分と、それに基づいて形成されている今の自分を否定してしまうのではないか。

そんな考えが私の動きを鈍くしている。

 

しかし夢屋まさるの「パンケーキ食べたい」というネタをテレビで見ていた妻が私にやるように促してきたので、

渋々やったときも何故か分からないが自然と笑みがこぼれてきた。

ナカタヤスタカの耳にこびりつく電子音にあわせてパンケーキ食べたいとリズムよく歌うというシンプルさがその中毒性を増している。

次の日の仕事中に「パンケーキ食べたい」が頭から離れず仕事にならなかった。

 

AAAの西島隆弘の「トリコ」という曲のダンスが流行っていると聞けば、踊ってみようと誘ってくる。


最新版‼️ 【トリコダンス】本人映像 Nissy(西島隆弘) 吉沢亮 新木優子 杉野遥亮 Tik Tok

動画を見ながらだから完璧には程遠い出来栄えで、とてもじゃないけど人に見せられるものではない。

でも何故かわからないけど楽しい。踊りながら笑ってしまう。

 

やりもしないで馬鹿にした態度を取っていたけど、やれば面白い。

やってみて、もし仮に面白くなかったら「面白くないね」と二人で笑えばいい。

当たり前のことに気付かせてくれた妻はすごい。