趣味:読書から話なんて広がんねえよ。
読書っていいですよね。
自分では体験できない事を文字を通して疑似体験できますし、
読んでいるときの没入感とか読み終わった後の達成感や余韻は何とも言えないポジティブな感覚ですよね。
僕もよく本を読むんですが、読書っていうのは心を満たしてくれる一方で、
趣味:読書ってだけで人と共通点を持っていると感じることがどうしても出来ないんですよね。
これが趣味:お菓子作りとかサッカーとかだったら、とても分かりやすい共通点になるんですけどね。
「この間、こんなお菓子作ったの」
「わーすごい私もお菓子作るの好きなの。作り方教えて?」
「いいよ、じゃあ連絡先教えて。レシピ送るよ」
趣味をきっかけにした、何てスムーズな人間関係の導入だろう。
今後、この二人が仲良くなるかどうかは置いておいて、
人間関係において共通点を持っていることはその後の親密度にかなり影響を与える。
しかしこれが趣味:読書だとそうもいかない。
「趣味が読書ってどんな本を読むの?」
「高嶋哲夫のM8」
「ふーん…」
「…」
大体こうなっちゃう。広がりようがない。
それか
「趣味が読書ってどんな本を読むの?」
「あー私も読んだよそれ、面白いよね」
「特に『用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだ』っていうあの一文が好きだわ。モテない作家じゃ書けない文章だと思うわ」
「ふーん…」
「…」
こうなっちゃう。
この世に存在する本ってあまりに数が膨大過ぎて、自分が読んだ本を相手が読んでいるとも限らないし、
読書って誰にでも趣味に出来るというハードルの低さ故に、趣味への没入度にギャップが生まれるし、その人の嗜好の濃淡がはっきりと出てしまう。
だからこそ趣味を語るならもっと細かく分ければいいのにって思う。
趣味における読書はカテゴリーで言えばかなりの大分類に該当していて、
「趣味はスポーツです」って言うのと同じくらいざっくりしてる。
スポーツってどういうこと?種目は?見る方?やる方?グッズをコレクトする方?
これらをすべてすっ飛ばして趣味:読書って言ってしまってるのが現状。
だからこそもっと細部を表現するために、
趣味:ミステリー小説読書とか自己啓発本読書とか教典読書とかファッション雑誌読書とか漫画読書とかまで言及していいんじゃない?
それと趣味が読書の人は同じ読書が好きな人に対してもうちょっと寛容になろうぜ。
ドラマとか映画きっかけで市川拓司と片山恭一を好きになってもいいじゃねえか。
ミステリー作家と言えば乾くるみって言ってもいいじゃねえか。
星新一のショートショートの内容言えるのにタイトルが出てこないってなってもいいじゃねえか。
赤川次郎の小説に出てくる地味な女が乱れる描写に下半身がふっくらしてもいいじゃねえか。
これ全部僕だわ。
ちなみに読書をする人と話す時に盛り上がるのは
好きな本ベスト3とかじゃなくて、
読んで退屈だった本とか二度と読みたくない本とかネガティブな内容の話をする方が盛り上がる。
上に出てきた高嶋哲夫のM8が良い例で、
僕が唯一最後まで読み切れなかった本だ。
理由は専門用語多すぎるから。
「東京大地震が起こった時、大切な人を守れますか…?」みたいな恋愛系をほのめかす煽りだったのに、
読んでみたら地震の専門書かよってレベルの単語の応酬。気軽に読めねえよ。
ところで僕は旅行をする時、移動時間中に退屈しないために本を持っていくのだが、
旅行先で仲良くなった人や同行した友人にその持って行った本を貸すことがよくある。
それは移動時間に本を読んでたという話から、どんな本を読んでたかを聞かれ、実物の本を手に取って見せた際に、
読みたかったら貸すよと言って結構気軽に貸してしまう。
でも本当は「この本を読んで僕のこと、僕との旅のことを思い出してほしい」っていう願いを込めて貸す。
そうすればその人が何度もその本を読み返すたびに、僕のことを忘れずに思い出してくれるでしょう?
っていうカッコイイ理由を今思いついたので書いておきます。
そんなことはいいから一刻も早く返しに来てくれ。
高嶋哲夫のM8じゃあるまいし読むのに何年かかってんだ。