恋はまるで釣りのようで

恋愛とは釣りに似ていると思います。
男と女のどちらが釣り人でどちらが魚であるかについては後述しますが
釣った魚にエサをやらないという言葉があるように恋愛を釣りに例えることは
そう突飛なことではないと思います。

 

例えば女性を釣り人だとします。
釣り場にはいろんな魚がいます。
大きい魚に小さい魚
動きが活発で元気な魚もいれば、ゆったり動いていて落ち着いた魚もいるでしょう。
どの魚を狙ってもいいんです。狙うのは自由です。

 

 

勿論魚を釣り上げることが重要だとは思うのですが
女性はエサを垂らしたときその魚がどんな釣られ方をするか
そこも一つの重要なポイントだと思っているのかもしれません。
なるほど、狙った魚にエサを垂らしてパクっ、垂らしてパクっ。
では初めはいいかもしれませんが、そのうち飽きてしまうかもしれません。
エサを垂らしても目当ての魚がちょっと齧るだけだったり、見向きもしなかったり
そんな反応も刺激的だと思えるのではないでしょうか。

 

エサを付けずに糸だけ垂らしたらどうなるか?
特別なエサを付けたらどうなるか?
そういった相手の反応・相手との駆け引きも醍醐味なのかもしれません。

 

適当にエサをばら撒いてバシャバシャと必死にエサを取り合う魚たちを見て楽しむ人もいるでしょう。
中にはエサを持ってないのに手でエサを撒く振りをして魚が集まってくるのを
楽しむ人もいるかもしれません。
他の人はどう思うか分かりませんが、僕個人の意見としてそういう行為を見るのはあまり気分のいいものではありません。

 

いずれにせよ魚を釣るということが最終目標になってくるわけですから
目当ての魚を選定しその魚を釣るために糸を垂らすことになると思います。
その過程の中ですぐ釣れてくれれば何も問題は無いのですが。
目当ての魚が中々自分のエサに食いつかない。
上に書いたような駆け引きも試します。
あからさまに糸を目の前に垂らしたり、
逆に気の無いように遠くに糸を垂らしても一向に釣れる気配すらない。
そうなってくると諦める方もいるでしょう。
というかほとんどの人はそう思うかもしれません。


でもその魚もたまに自分のエサを見る、近づく素振りを見せる。
ならもう少し続けてみようか。
そうやっているうちに焦れてしまい
もう体当たりしかないと言わんばかりに水場に飛び込む釣り人もいるかもしれません。
もちろん、その水しぶきと大きな音で他の魚は逃げ出します。
現実でもそうですよね、ひとつのものに執着すると視野が狭くなって
時に他人から見れば異常とも思える行動をとってしまう事があります。
得てしてそういう行動は周りの人を遠ざけてしまうものです。
こと恋愛においてはそういった傾向は顕著なのではないでしょうか。
それでもいいんです目当ての魚を得るためなら。

 

飛び込んで手づかみでその魚を取りに行って初めて気づくんです。
自分の目的の魚が疑似餌(ルアー)であることに。
そしてすぐに気づくんです自分は釣る側ではない、釣られる側だったのだと

 

じゃあ恋愛って一方が釣る側でもう一方が釣られる側という関係しかないのかというと、そういう事でもないようです。
釣る側・釣られる側と分けるからそれぞれに格差があるように感じますが
やはり恋愛においては格差がない状態が好ましいのではないでしょうか?
格差がない、つまりお互いが釣り、釣られるという調和がとれている状態を釣り合うというのではないでしょうか。