老人ホームに入った途端に祖母の顔から急激に活気が無くなった
祖母が老人ホームに入った。
この祖母ではない。
今回は母方の祖母の話だ。
87歳で頭ははっきりしているし、足腰も強くこれまで自分のことは自分で何でもしてきたが家で一人でいる時に何かあったら、と考えた時にやはり常時側に誰かがいる環境がいいのではと思い老人ホームに入居したそうだ。
2月に入居して、先日初めてその老人ホームを訪れた。
祖母の顔を見てビックリした。
祖母がぼんやりした顔になっていたのだ。
今まで自宅にいた時は、家事をして、買い物をして、出かける時や寝る時は火の元や戸締りの確認をしたり
良い意味で気を張っていたことが老人ホームに入ったことにより何もしなくてよくなってしまった。
その結果、前より何だかボーっとした表情をしているように感じられたのだ。
入居してたったひと月でこうも顔つきが変わるものかと驚いた。
しかし私と話をしているうちにいつもの祖母が戻ってきた。
顔はシャッキリしてきたし、他の入居者より私は話ごたえがあるのだろう。祖母の弁舌も本領を発揮してきた。
そうだった、祖母は話がとても面白いのだ。
祖母の話が面白いと言っても、「興味深い」と言った面白さではない。
下品で下世話で俗っぽい面白さだ。そして歯に衣着せぬ物言いをする。それがまた面白い。
昔、祖母と食事をしているときの話だ。
私が軟骨の唐揚げを食べていると祖母が「ねえ男の人のアレって軟骨で出来てるの?」と聞いてきた。
思わず軟骨を吹き出してしまった。
柔らかいとか固いとかが入り混じった軟骨みたいな感じでしょ?と。
祖母は80年間、男のアレは軟骨で出来ていると思っていたそうだ。
その日も祖母はいつもの調子で話しだした。
施設を案内してあげると言われ施設内を歩いていると、職員さんが折り紙をするからどうですか?と祖母を誘ってきたが「孫が来てくれていますので」と断っていた。
何だか職員の方や入居している人たちとのコミュニケーションの場の邪魔をしたかと思い
「いいやん、行って来たら?僕部屋で待ってるし」と言ってみたが、
「いいのいいの、さあ部屋に戻りましょ」とそそくさと部屋に帰って行った。
部屋に戻ると
「紙折っても全然楽しない、しかも周りの人は皆ボケてて私だけしっかりしてるから他の人よりたくさん折らされる」
「私が今まで折り紙してるの見たことある?そら好きでやってる人はええけど、折り紙嫌いやわ」とバッサリ。
そそくさと部屋に戻った理由が分かった。
そんな調子で職員の方とも話しているそうで、こういう物言いに嫌悪感を持つ職員の方もいるんじゃないかと心配した。
入居後に祖母が職員の人に「この部屋って牢屋みたいやわ」と言ったそうだ。
すると職員さんは「牢屋よりちょっとだけ広いです」と返す刀でバッサリ。
職員さんの方が一枚上手だった。
その日はメインの用事として私の結婚式での写真を祖母に持って行ったのだが、私の結婚の話はそこそこにすぐに祖母の結婚の話になった。
「私の時代は戦争で男が少なくて女が余ってた。だから数少ない男が上から順番に綺麗な女を娶っていって、不細工な女は行かず後家になってたわ。」
「まあ私は綺麗な方やったし、割かしユーモアもあったからようモテたわ。」
「ラブレターもたくさんもらって、私は目移りするからラブレター貰ったらその人のことが気になって、それぞれの男に気のある返事をしたもんや。」
「貰ったラブレターは学校の壁に一枚一枚貼って皆で見てたわ」
ラブレターを壁に張って皆で見るって相当エグイ事をしていたようだ。
戦後の恋愛観はどうなっていたんだ。
さらに嘘か本当か分からないが、富山出身の議員の綿貫と見合いをして、見初められたと言っていた。
綿貫の家に招かれて、たくさん並んでいる蔵を端から数えて10を超えた辺りで数えるのに飽きたそうだ。
そんな馬鹿な話をしていると、急に祖母が真顔になり「おばあちゃんはやっぱりここにいる方がいいと思う?」と聞いてきた。
頭がしっかりしていて、自分のことは自分でできる体力がある祖母からすれば、老人ホームにいる必要性を感じなくなる時があるのだそうだ。
しかし夜、一人になると人が常にいる環境に安心できるし、そもそも老人ホームに入った一番の理由はそれだ。
祖母がまだ自宅にいた時は夜に不安になり私の母に電話をしていた。
そんな日が続き、父方の祖母も体調が悪くなると私の母に連絡をしていたため、母はかなり参っていた。
その母の姿を見ていた身としては軽々しく「おばあちゃんが嫌だったらここを出ればいいんじゃない?」とも言えないし、
祖母の現状を知りながらお金も出していない、手間もかけていない私が「このまま入っておいた方がいいんじゃない?」とも言えなかった。
介護は救いが少なすぎる。
みんながみんな朝丘雪路のような介護生活を送れるわけではない。
もちろんそれだって本人たちには壮絶だったのだろう。
すっかり話し込んでしまい、祖母の食事の時間になった。
そのタイミングで私が帰ろうとしたら祖母が別れ際に握手をしてきた。
「いつもこんなことしないやん」と私が言うと
「そうやけど、これで最期かもしれないから」と言った。
「じゃあこれを最後にしないようにしないとね」と笑って返して私は家路についた。