正論を口にしすぎる奴は嫌われる。

せい‐ろん【正論】
道理にかなった正しい意見や議論。

 

実にいい言葉だ。間違ったことよりも正しいことを説くことは奨励されるべきである。

しかし、こと対人関係において正論ばかり説くことが正論ではない場面は多々ある。

 

僕の背中が荒れていることを妻に指摘された。

元々、僕は肌があまり強い方ではなく、加えて梅雨の時期は湿気や汗の影響でどうしても肌が荒れてしまう。

お風呂上りはほてった体温で肌が赤みをもつため、より荒れている状態を強調させて見せてしまう。

それを妻が見つけ、肌荒れを指摘されたわけだ。

 

「皮膚科に行って来たら?」

「前にも言ったけど、ちゃんと皮膚科に通ってる?」

「継続して通わないと意味ないからね」

「今月中に行くこと。いい?」

「心配して言ってあげてるんだからね」

 

まったくもって正論だ。ぐうの音も出ない。

 

迅速に継続的に治療にあたることは医学的に正しいことだし、

妻として夫の健康状態を心配することは倫理的・人道的に正しいことだ。

 

一方、僕が皮膚科に行かない理由は一つ。

面倒くさいから。

行った方がいいって分かっているけど出来ない。

 

このひと幕を見て、妻を礼賛しない人はいないだろう。

だって正論だから。

このひと幕を見て、僕を礼賛する人はいないだろう。

だって正論じゃないから。

 

しかし人間、合理的な行動ばかりじゃないだろう?

「健康に悪いと分かっているけど、タバコも深酒もやめられない」だろう?

「毎日コツコツやればいいって分かっているけど、ギリギリまで課題を消化しない」だろう?

「睡眠は大事だって分かっているけど、夜更かしして海外ドラマを見てしまう」だろう?

「早く通院した方がいいって分かっているけど、面倒だから皮膚科に行かない」のもそういうことだ。

 

じゃあ今度は僕が妻に言ってみようか?

「毎日、朝晩にマウントレーニアを飲んでいるけど、健康のために糖質の高い飲み物はやめた方がいいよ」

「毎晩ソファーで電気とテレビを点けっぱなしにして寝てるけど、質の良い睡眠のためにやめた方がいいよ」

「歯を磨かずに寝てしまう事があるけど、健康な歯を維持するためにやめた方がいいよ」

「継続してやめないと意味ないからね」

「今月中にやめること。いい?」

「心配して言ってあげてるんだからね」

 

どうだろう?

僕を礼賛してくれるでしょう?だって正論なんだから。

・・・。

 

 

僕が妻にこれを言ってこなかったのは、人間は合理的なことばかりじゃないって知ってるから。

こと対人関係において正論で相手の行動や思考を制限するってことは、同じようにされても仕方がないってことだから。

そしてお互いが制限し合ったらとっても窮屈だから。そんな家族にしたくないから。


まあ全部言い訳だよ。

面倒くさいから皮膚科に行きたくないけど、

行かなかったらもっと面倒くさいことになるから、皮膚科に行ってきます。